きぼっこキャンプ ボランティア・キャンプリーダー募集!!

第51回リーダー募集5月

第51回リーダー募集5月(説明)

第51回きぼっこキャンプは、宮城県内の小学校5年生から高校3年生までの

手足に障がいのある子どもと、障がいのない子どもを対象に、

夏は3泊4日、冬は1泊2日でおこなう豊かな自然の中、親元を離れ、子どもたち自身がプログラムを考えて創ってゆく「出会い」と「感動」の場を目指しています。

 

子どもたちと一緒に‘きぼっこキャンプ’を創ってゆく

 キャンプリーダー募集しています!

条件等きぼっこキャンプの趣旨に賛同し、青少年活動に関心がある18歳~26歳までの男女。

    毎週土曜日17:00~2時間程のトレーニング(8回)により多く参加可能な人。

    トレーニング会場は、宮城県障害者福祉センター(宮城野区幸町)です。

ご関心がある方はご連絡ください。電話 022-293-2902(不在時、留守電対応)

2024年4月18日

第50回きぼっこキャンプ キャンパー(参加児童生徒)募集!!

きぼっこキャンプは、小学校5年生から高校3年生までの肢体不自由児と障がいのない子どもたちが、約3ヶ月にわたるトレーニングを受けたボランティア学生とともに共同生活を創ってゆく場です。

昭和48年に始まったきぼっこキャンプです。コロナ禍で2年間休止しましたが、今年実施第50年目を迎えました。

参加希望のある方、関心がある方は、肢体不自由児協会事業のきぼっこキャンプ係までご連絡ください。

なお、きぼっこキャンプに必要な費用の内、参加費で賄うことができない費用については、ボランティアのみなさんの交通費等自弁の他、「障がいのある子どもに愛の手を」普及運動における県民の皆様による事業協賛金で賄われていることを深く感謝しております。

 

 

 

キャンパー募集(実施計画書)50
2023年6月9日

車いす送迎自動車寄贈される!!

フライングスター基金から車いす送迎自動車が寄贈されました!

寄贈元:アステラス製薬株式会社 フライングスター基金

「フライングスター基金は、ささやかでも継続できる社会貢献活動を目的に、社員が中心となって発足した基金で、人々の健康と福祉の向上に寄与することを活動目的としています。 同基金への参加は社員の自由意思に委ねられており、現在日本のアステラスグループ社員約4,100名が参加しています。」~アステラス製薬株式会社HP~

寄贈車:ダイハツ アトレースローパー4WD

贈呈式:2022年11月13日(日)

アステラス製薬株式会社サのステナビリティ部門長をはじめとする5名の方々、そして今回の送迎自動車寄贈に関して推薦元の宮城県肢体不自由児者父母の会連合会長、同役員、会員の方々にご臨席いただきました。

肢体不自由児協会事業に参加している児童生徒さんも参列しました。

2022年12月15日

第49回きぼっこキャンプ ボランティア募集  ※令和4年度の募集は終了しました

きぼっこキャンプは、主として肢体不自由児と障がいのない子どもを対象とした混合療育キャンプです。
昭和47年から令和元年までの48年間にわたり実施していましたが、コロナ禍により2年間休止していました。令和4年夏季のキャンプから再開します!
子どもたちが豊かな自然のもとでの楽しい集団生活を通して生活経験を広げ、相互理解を深めるとともに、のびのびと明るく、そして強く成長することを願って実施しているものです。

※令和4年度の募集は終了しました。

(過去のきぼっこキャンプはこちら)

 

キャンパー(子どもたち)と一緒にきぼっこキャンプを創ってゆくボランティアリーダーを募集します。ボランティア募集(PDF)

ボランティア募集(実施計画書)
2022年5月30日

「障がいのある子どもの親の会 ご紹介」冊子の公開

令和2年度、皆様からご協力いただきました協賛金(寄附金)により「障がいのある子どもの親の会 ご紹介」(冊子)を作成致しました。

この冊子作成の目的は、「障がいのある人に係わる方々に親の会等の活動を理解していただき、孤立している親にとっては、同じ悩みを持つ人とのつながりを深め安心して地域で暮らしていくためのツールとして活用していただくこと」(趣旨)です。

冊子は、「障がいのある子どもに愛の手を」普及運動にご協力いただいております団体等(県内の小・中学校、支援学校、高等学校、各自治体の障害福祉担当部署、宮城県庁及び仙台市役所の各部署、仙台市ガス局、水道局、交通局、各警察署などのおよそ1400の部署、団体)へ配布しています。

冊子作成に当たり、親の会をはじめ、各自治体、支援学校等に情報提供のご協力をいただきましたことを厚くお礼申し上げます。

以下のリンクよりダウンロードしてご活用いただければ幸いに存じます。
障害のある子どもの親の会 ご紹介

2021年10月6日

みなさんの可能性を支援いたします 伊藤清市(宮城県障がい者福祉協会理事)

 宮城県肢体不自由児協会(以下協会)から宮城県障がい者福祉協会(以下県協会)への肢体不自由協会事業の継承という転換期に、双方の理事を拝命したことは、社会福祉を業としてきた者として、幼少の頃から協会にお世話になってきた一当事者として身の引き締まる思いがあります。

 先天性の希少難病として生まれた私は、宮城県整肢拓桃園(当時)入園後、協会に繋がりました。入園の身であったため「きぼっこキャンプ」への参加は叶いませんでしたが、関係団体である全国肢体不自由児者父母の会連合会(全肢連)が1986(昭和61)年に開催した「国際親善交流キャンプ(全国5ヶ所・7ヶ国・485名参加)」に参加できたことはとても貴重な体験です。

 東北福祉大学入学後は、協会事業のボランティアの方々に障害理解を深める側としても関わらせていただくようになり、特に宿泊事業においては学生や社会人のみなさんと夜通し語り合ったことが思い出されます。

 私自身がサービスの受けてから担い手として協会に携わってきたように、社会問題に関心がある、当事者活動をしてみたいというみなさんの相談場所として県協会を活用してください。もちろん日常生活、社会生活の相談でも結構です。またセンター1階にある図書室の蔵書の充実や社会参加推進センター等、内外関係機関との連携で情報発信をしていきます。

 当事者主権と言われる現在、次代を創るみなさんには多くの可能性があります。その活動を関係者一丸となって支援させていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

生後5カ月

生後5カ月

整肢拓桃園の行事 小学校入学前

国際交流キャンプ
1986(昭和61)年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の伊藤清市理事

 

2020年6月10日

肢体不自由児協会事業を引き受ける 森正義会長

 わたしたちの法人は、2年前、社会福祉法人設立60周年を機に、障がい種別の枠組みを規定する「身体」を法人名から外し、また「障がい児から高齢障がい者」までの事業展開を目指すことを宣明し、令和2年4月から、肢体不自由児協会事業を引き受けることになりました。

 その契機の1つ目は、障がい種別が、スペクトラム化しており、あいまいな境界をもちながら連続している実態があるからです。以前は、身体、知的、精神の3障がい区分が一般的でありましたが、発達障がい、高次脳機能障がい、難病を伴う障がいなども加わり、また、施設利用者も障がいが重複しており、種別を設けることにより、枠外に置かれてしまう方々も出てくるので、「障がい」仲間をすべて包含することにしました。

 2つ目は、60年前、「わたしがどこで何をしていたのか」を振り返ったことです。当法人が「大人の障がい者」対象だけの法人になっており、年齢層の垣根を取り払い、「もっと、障がい児にも目を向けよう」と思いを新たにしたことです。
手元に、社会福祉法人日本肢体不自由児協会発行の『肢体不自由児事業の現状と課題 1966年版―手足の不自由な子どもに愛の手を』があります。そこに全国肢体不自由児施設一覧表が掲載されており、宮城県名取郡秋保町に「整肢拓桃園」(昭和30年開設)(園長:高橋孝文)と岩手県紫波郡都南村に「都南学園」(昭和32年開設)(園長:箱崎喜雄)が目に留まりました。
 なぜなら、都南学園はわが母校で、62年前、わたしは、そこに入所していたからです。
 今は「拓桃」も「都南」も移転し、「宮城県医療療育センター」や「岩手県立療育センター」となり、両方とも特別支援学校と病院が隣接しています。宮城は「宮城県立こども病院」(仙台市青葉区落合)、岩手は「岩手医科大学附属病院」(矢巾町)です。
 東日本大震災やコロナ感染拡大で、大人よりも、子どもを守る社会通念が当たり前ですが、その根拠は「児童は危難の際には、最初に救済を受ける者でなければならない」(児童の権利に関するジュネーブ宣言、1924 年/大正13 年)にあるかも知れません。時の経過とともに、みんなが子どもから大人になりますが、「障がい児」を置き去りにしてはいけない、と思い知らされたからでした。

 3つ目の契機は、昭和31年に設立された宮城県肢体不自由児協会(宮肢協)が、令和2年4月1日をもって一般財団法人を解散するという情報を聞いたからです。宮肢協とは密接な関係があり、当法人の何人もの施設長や常務理事経験者が宮肢協出身者です。宮肢協事業の重要性に鑑み、実施事業の受け皿となることができるかどうかを検討し、協議していたからです。
 宮肢協は、当法人だけでなく、県内の障がい者団体や運動と深く関わっています。理事の伊藤清市氏が関心を寄せている、仙台市における「生活圏拡張運動」では、運動の成立や展開に中心的な役割を果たしたソーシャルワーカーである菅野鞠子1は、国立西多賀療養所、共生福祉会を経て、宮城県肢体不自由児協会に就職し、在宅障がい児の外出支援活動に従事しました。
 昭和31年といえば、日本が国連に加盟し、前年には、骨関節結核による肢体不自由者(脊髄カリエス)専門の国立玉浦療養所(岩沼市)が開設され、5年後に、肺結核患者の医療を中心とする西多賀療養所に統合されました。(昭和35年時、患者数326名)。また、当時の近藤文雄所長による進行性筋萎縮症者(筋ジス2)の受け入れもあり、肢体不自由者を中心とした「集住」がなされました。そこから、地域社会における「生活の場」を拡張していく取り組みが始まったようです。
 特筆すべきは、「日本基督教団仙台青年・学生センター」(通称、仙台ワークキャンプ3)や「仙台YMCA」というボランティア集団で、宮肢協の「きぼっこキャンプ」、第1回目は、昭和47年の「手足の不自由な子どもの療育キャンプ」ですが、初めの4回は、仙台YMCAと共催で実施されました。
 障がい当事者団体や障がい支援団体の統廃合や解散は、長い歴史の中では、残念ながら、覚悟しなければならないことです。団体の存亡は、福祉制度の変遷によって、枠外に追い出されたり、中止に追い込まれたり、内容を薄められて丸め込まれたり、いつのまに骨抜きになっていたり、適正化の名に縮小させられたり、さまざまな経緯を辿っています。運動や団体の成立や展開に、実に多くの方々が関わり、時には記念誌に明記され、時には埋もれ、その多くの人が記憶の中で薄れ、忘れられていくのかも知れません。
 仮に、人類の巨大なクラウド・ストレージがあるとするならば、過去の出来事がすべて刻み込まれているのだとしたら、などと空想に耽ってしまうコロナ自粛生活の日々のなかで、この文章を書いています。 (令和2.5.22)

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1 菅野氏は社会福祉法人共生福祉会の生みの親、福島禎蔵初代会⾧の「耳目兼足」であっ
た、と近藤文雄(西多賀療養所院⾧)の評、『共生福祉会三十周年記念誌』より。
2 多い時で150人の筋ジス患者が西多賀療養所に生活していた。
3 東北大学、東北学院大学、宮城学院女子大学の学生有志グループ

 


都南学園当時の森会長 手術後、ベッドの上で

2020年6月10日